スポーツの試合の場で起こった事件について 学生に謝罪をさせる異常な?事態に至った背景とは何だったのでしょうか?
わたしがこの件で、思い浮かべたのが この曲でした。
さだまさし 正しくは レーズンのアルバム
「あの頃について~シーズン・オブ・レーズン~」の6曲目
「あと1マイル」
(あくまで個人の見解です)
この歌は いわゆる反戦歌。
戦場に行った恋人からの手紙を受け取った彼女の立場で歌っています。
目次
レーズンとは?
レーズンとは、さだまさしのデビューした時のギターデュオ 「グレープ」解散後
1991年に 吉田政美さんとともに グレープとして 復活した時に、
グレープ(ぶどう)からレーズン(干しブドウ)になったというジョークから
レーズンというグループ名になりました。
その復活記念のアルバムが
この曲が収録されている、「あの頃について~シーズン・オブ・レーズン~」
ということになっています。
吉田政美氏について
グレープを結成したきっかけは、体調を崩し、病気療養のため大学を中退し長崎に帰っていたさださんの実家に、キャバレー巡りのバンドの仕事を放棄し、長崎に転がりこんで(さださんのトークによれば、ですよ)来たのがきっかけ。
グレープ解散後、レコード会社のプロデューサーとして活動していましたが、
1991年、期間限定でのグレープ復活となりました。
さださんは、吉田氏のギターに惚れ込んでいたことはトークや著書に書かれています。
復活した時や、アニバーサリーのコンサートでゲスト出演した時など、
「グレープの頃より、上手くなって、ハモリなんかも出来て進化してる」と吉田氏をいじっています。
当時から厚い信頼を置いている、唯一無二の存在だというのが伝わってきます。
「あと1マイル」 歌のドラマ
戦場に行った彼からの手紙。
銃弾に倒れた彼の場所は 味方まで1マイルの場所だった。
彼女から贈られた時計は その日で止まっている。
あなたの手紙が届いたのは、その知らせの1週間あと。
彼の手紙にはこんな風に綴られています。
「(敵にむかって)誰があなたに撃てと命じたか?そんな風にお前を育てていない。
母の声がいつも耳に残って、僕はいい兵士になれそうもない」
と。
あなたの手紙を読み終えた時は 戦が終わった翌日だった。
最後のページには 私(彼女)の名前が520も綴られています。
彼女は「あなたは誰のために戦ったのですか?私(彼女)まで捨てて戦ったのですか?
よその国では 若者たちは 素知らぬ顔で遊んでいるというのに。」
「誰が撃てと命じたのか?そんな風に育てていないという母の声が残って、いい兵士になれそうもない」
「最後のページには 私の名前が520も綴られているのに、あなたの手紙を何度読んでもあなたの声が聞こえない。」
「あなたの愛がこんなにも綴られているのに、味方まであと1マイルだったのに」
という、戦争の悲劇を歌っています。
「誰があなたに撃てと命じたのか? そんな風に母は育てていない、と母の声が耳に残っていい兵士になれそうもない」という彼は、
敵にどれだけ銃を向けていたのでしょうか?
「やってはいけない。とわかっていても 追い詰められたらやってしまう」
そんな人間の心の真実を描いているこの歌。
戦争とスポーツはもちろん全然違うけれど、
その、やってはいけないことというのを十二分にわかっていつつ、やらなければならないんだ・・と
追い詰められた時の心情を思うと、自分なら その命令にあらがえるのだろうか?
しかも、
平和で普通であれば、「やってはいけないこと」が戦争となったら
「やってはいけないことではなくなってしまう」「上から社会から、敵を倒すことが
正しいことなんだ」と思ってしまう状況だったら、
行動してしまったとしても 何ら不思議はない。
私だって、あなただって、そんな状況に追い込まれたら、やってしまうかもしれない。
そんなことを考えざるを得ない、誰にでも起こりうる
そうした 人間の心理の闇を考えてしまう出来事でした。
必要か必要じゃないかということ以前に、それほど追い詰めるような状況を作り出してはいけない。
冷静な判断がつかなくなるような社会にしてはいけないと強く感じました。